こんにちわ
最近、テレビ番組「関ジャム 完全燃SHOW」で作曲家でもあり音楽プロディーサーの丸谷マナブさんが出演されていて、選曲を熱く語っていました。
今回はその丸谷マナブさんについて調べてみましたので、ご紹介したいと思います。
皆さんも音楽プロデューサーの年収は気になりますよね?
他にも結婚しているのかなども調べていますので、興味のある方は是非ご覧ください。
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丸谷マナブのプロフィール
出典:https://realsound.jp/
【氏名】
丸谷 マナブ(まるたに まなぶ)
【生年月日(年齢)】
1979年3月28日(45歳)
【星座】
牡羊座
【血液型】
O型
【出身地】
北海道札幌市
【職業】
シンガー
作詞家
作曲家
音楽プロデューサー
【主なプロデュース】
・AKB48「ラブラドール・レトリバー」(2014年)
・Little Glee Monster「好きだ。」(2017年)
・三代目 J Soul Brothers「HAPPY 」(2017年)
・AKB48「11月のアンクレット」(2017年)
・Little Glee Monster「世界はあなたに笑いかけている」(2018年)
丸谷マナブさんは音楽プロデューサーとして有名ですが、最初は2005年に2人組の宅録ユニット「Sunbrain」として自ら歌う側でメジャーデビューしています。
出典:http://lovebowl.jugem.jp/
その後の2012年から音楽プロデュースの活動を本格的に開始して、数々のアーティストに作詞、作曲且つプロデュースを提供しています。
楽曲提供は、AKB48グループ(NMB48、HKT48、NGT48など)の他に、乃木坂48へも提供しており秋元康さんの手掛けているグループにも多く提供しています。
そんな丸谷マナブさんの音楽ヒストリーをまとめてみましたので、ご覧ください。
就職活動時期に入院していなかったら、今の音楽プロデューサーとしての丸谷マナブさんは居なかったのかもしれませんね!
なお、SMPというのは作家事務所だったようですが、作家や楽曲提供が何かもわからずアーティストになりたいと答えてしまっていたというエピソードがあるようでした。
結婚している?
丸谷マナブさんは現在45歳で結婚しているのか気になっていろいろ調べてみましたが、情報は見つかりませんでした。
SNSでも家族の情報は出ておらず、プライベートは完全に表に出さないのかもしれませんが、今の時点では結婚していない可能性が高いということでした。
今後、新たな情報が見つかったらお知らせしたいと思います。
丸谷マナブさんの印象は「こじはると結婚しそう」って謎印象
— 🥨 (@2skd9) February 1, 2021
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音楽プロデューサー丸谷マナブの年収は?
日本レコード大賞の優秀作品賞や作曲賞などを受賞してきた音楽プロデューサーの年収がすごく気になるところですね!
さすがに丸谷マナブさんの年収の情報は見つからなかったので、まずは一般的な音楽プロデューサーの年収から調べてみました。
・アシスタント・プロデューサー:478万
・プロデューサー :558万
・ボカロP :382万円~501万円
音楽プロデューサーの平均年収はおよそ400~500万円で、一般的な会社員の平均額と比べて同じ程度かやや高い水準ですね。
ただし、フリーランスや独立活動している場合は、実力や実績によって年収にかなり幅があるようです。
上はあくまでも一般的な場合なので、丸谷マナブさんの場合は該当しないと思われます。
次に、今までの有名な音楽プロデューサーの噂された年収を調べてみました。
・小室哲哉 :23億円
・つんく♂ :10億円
・秋元康 :50億円
さすがに有名どころとなると金額が違いますね!
丸谷マナブも音楽提供した楽曲が日本レコード大賞で受賞したりと、数々の実績があり、また作曲家賞を受賞するほどの実力があると考えると1億円は超えているのではないかと考えられます。
誰にでもなれるような話ではありませんが、夢のある職業なんだと改めて感じてしまいますね。
日本一のうなぎ職人や同業の岡嶋かな多さんの年収についても記事がありますので、興味があればご一緒にお読みください。
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まとめ
今回は丸谷マナブさんの結婚と年収についてご紹介しました。
今でもLittle Glee Monsterを始めとしていろいろなアーティストに楽曲を提供しており、最近ではジャニーズグループへのプロデュースも出てきているので、今後も幅広いプロデュースで活躍されると思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。
子供の頃はCHAGE&ASKAに憧れて友達とハモリ合いをしていた
父親のアコースティックギターをこっそり使って練習し始める
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中学生ではハードロック系のバンドを組んで明け暮れる
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途中でドキュメンタリーに衝撃を受けて方向性の違いからバンドを脱退
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音楽で食っていくことは考えておらず大学の建築学科に進学
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大学時代の自由な時間をほぼ「自ら演奏や歌を録音して編集する」作業に費やす
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就職活動時期に大きな病気にかかり入院、就職できずに大学卒業
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今までのデモや履歴書を音楽事務所に送り、Sonymusic Publishing(SMP)から連絡が来る